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第30回 ぶら下がるもの  田島 秀樹

ぶら下がるもの  田島秀樹

 

風呂上がりに……

(昨今の規範を鑑みると、あるいはこの先、表現されるモノに対して不快に思われる方もいるやもしれません。ご心配な方はどうぞここまでで。はい。大したモノではありません)

風呂上がりに鏡の前に立って考えた。

じっと見る。

ぶらりぶらり。

重力に抗いながら、ここまでぶら下がり続けてきた股間のモノ。

進化の過程で不要になったケースを除いて、生物のパーツに無駄なものはない。人間社会の勝手な評価基準を無視すれば、目も鼻も口も耳も腕も足も指も爪も髪もあらゆるパーツは皆一様に美しく愛おしい。

だがこのパーツはどうだ。

スポットライトを浴びることもなく、人目を避け、ひっそりつつましく暮らしておられる奥ゆかしいパーツ。ゆえに自分の中にも鑑賞用の基準がない。長く付き合ってきた実感はあるし、自らの一部であるのも間違いないのだが、あえて語るには言葉を選ぶ。

 

さらにじっと見る。

詳細なレポートは控える。しかし、あらためてこのパーツが持つ機能に思いを巡らせると、これほど陰陽を背負ったモノも珍しいと敬服してしまう。生存に極めて重要な排泄と生殖を担い、物理的衝撃では死を渇望するほどの痛みをもたらせ、欲に任せれば抗いようのない至上の快感へと昇天させてくれる。

苦楽。悲喜。哀感。まさに人生のシンボル。

もちろん、ぶら下がっている軍曹を目にしながら、そんなことを年中考察しているわけではない。依頼されたこのエッセイのことを湯船でぼんやり考えていたためか、鏡で再会した際にはっと思ったのだ。

似ている、と。

脚本の執筆に。

いささか強引に思われるかもしれない。なんとか説明に努めてみよう。

 

かれこれ三十年近く、なんだかんだ書くことで生きてきた。最初は自分が聴きたいドラマを聴きたくてラジオドラマを書いた。うつけのように真っすぐだった。昇天し、恍惚の人となった。賞を取り、執筆の依頼が来るようになると、生活のために書くようになった。どんなジャンルを執筆するときにも、浮かぶもの、知ったもの、考えたこと、感じたこと、体験したこと、すべてを注ぎ込み、吐き出し、排泄するかのごとく放出し続けた。至福のときもあれば、地獄を覗くこともあった。総じてそれは人生において欠かせない輝きを放つことにはなったが、同時に底の見えない闇をも連れて来た。

巨大な重力は光の軌道さえも変えてしまう。

脚本の執筆はぶら下がり続けてきたモノ同様、人生の軌道に影響を与え続けてきた。

ここである人物を紹介したい。

 

かつてNHKに角岡正美という演出家がいた。私はまだ青竹のようだった高校生のころから、その感性、姿勢、表現に痺れ、憧れ、勝手に師匠と慕った(つまり推しです。今回は出汁として登場していただくので推しポイントを連ねることは控えます。興味を持っていただけましたら是非下記「※」もどうぞ)。

フリーとして書き始めて二年ほど経ったころだったと思う。その角岡ディレクターがぽろっと言った。柔和な顔をこちらへ向け、少し困ったような、迷ったような、しかし、がっちりと視線をロックして、ひとこと。

「田島ちゃんもえらいよね」

ふわっと舞い上がった。モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」でも流れて来そう。そりゃあそうだ。尊敬して止まない師匠に褒められたのだ。一応は照れて謙遜もしたが、嬉しさに胸は熱かった。好きなものだけを好きなように書く無鉄砲な時期を終え、あらゆるものに手を出し、仕事としてこなし始めたころだった。しばらくのあいだ、もらった言葉を糧に踏ん張った。忍耐を試されるような執筆ではHP回復アイテムとして重宝した。

 

ところが、である。

どうにかこうにか仕事への思い入れを加減できるようになり、内外で衝突することも減り始めたころ(つまりは妥協、打算という狡猾な術を覚えたころ)、ふっと、気づいたのだ。

なぜ「は」ではなかったのだろう。

なぜ「田島ちゃんはえらいよね」ではなかったのだろう。

 

ご存じのように「えらい」には大きく二つの意味がある。

①普通よりすぐれている。身分などが高い。人として立派。

②状態が普通ではない。ひどい。予想外。つらい。しんどい。

方言に限ると(主に西の方では)使われる意図では②が主流になる。

名古屋も同様。

言葉をもらったあのとき、ところは名古屋、角岡ディレクターも名古屋の人であった。

遠い記憶を探る。

そのときの角岡ディレクターとの話題は、脚本コンクールの縁で知り合った同士たちの近況だったと思う。コンクールの覇者は皆それぞれ、たっぷりの思い入れが評価され、表彰され、表舞台に立つ。しかしその後もその舞台で書き続けるためには、自らのためにではなく、不特定多数の誰かの時間を頂戴し、泣かせ、笑わせるために書かねばならない。その障壁を前に、あえて舞台を降りる同士も少なくなかった。

純潔のまま。無垢のままに。

初恋は初恋のままに。

振り返って推察を重ねると、角岡ディレクターはその儚くも純朴な輝きを慈しんでいたように思う。その一途なドラマへの憧憬を深く愛していたように思う。

そうだよ。

あれは、褒められたわけじゃなかったのだ。

あれは、過信に酔ったまま踊るように旅路を歩み始めた青二才への警告だったのではないか。

 

実際、当時書いたものは荒れていた。一行書くのに平気で三日も四日も唸っていた鈍亀は遺棄され、心得違いの兎が阿保みたいにぴょんぴょん跳ねながら書いていた。あるいはそうして排泄したもの、師匠に読まれちゃったのかもしれない。

学生のころより脚本コンクールに応募し、落ち続けた。最終選考で私の入賞に反対していたのが誰あろう角岡ディレクターだったと後に聞いた。この子にはもう少し書かせた方がいいと。やがて入選した際には本人に言われた。まだ早いんだけどなぁ、と。

浮かれポンチもいつかは気づくだろう。

時を超えるための窮余の一策。

時限爆弾。

炸裂後に残るはまさかの叱咤激励。

「田島ちゃんもえらいよね」→「えらいよね。でも選んじゃった道でしょ。頑張んなさい」

すべては憶測。

感傷上等。

あの世で会ったら確かめよう。

 

ぶらぶらと、容赦のない重力に抗いながら、それでもここまでぶら下がって来た。

じっと見据える。

あと何回、達することができるだろうか。

馬鹿もの。何回とか言ってる。書き始めたころは、そんな博奕のような取り組み方はできなかったはずだ。

すべて。

この先のすべてに、かくあらねば。

ん? すべて? じゃあこの年甲斐もなく気負っているエッセイも?

鏡のおっさん、ぶらぶらのまま腰に手を当て不敵に笑う。

田島ちゃんはえらいのだ。

 

 

 

※別サイトですが、お仲間なのでお許しを。

https://wgc1960.org/2023/01/31/maniac/

日本脚本家連盟中部支部に書いたブログです。どうぞ師匠に萌えてください。