大学で英文科を選んだのには訳があったはずだった。
管理教育の中でもがき、心がギュウギュウ縮まっていた受験勉強。言われるがままに従って他人と比べられて、こんな状況でいいのか。何のために学ぶのか?
書を捨てよ、町へ出よう。
外の世界を見てみたい。いろんな人と友達になりたい。リアルな体験を通じて感じて、自分で考えてみたい。英語を勉強すれば可能性は無限に広がる。きっと自由に羽ばたける。
・・・はずだった。
学びをそっちのけで遊びまくった大学時代。
女子大生ブームに乗っかり、養成所を経てタレント事務所に入ってしまった。
時はイベント業界伸び盛りで需要が高く、以来、ステージMCや放送媒体にあれこれ携わり続けてきた。さらに構成作家の仕事へも展開を見せた。そんな中、取材で海外へ出向いたり、旅番組に携わったりしたことはあれど、プライベートで他国へと足を運んだのはほんの数回。ビジネス脳のスイッチを入れ続け、突っ走ってきたこと光陰矢の如しである。
一度、フィリピン政府観光省主催のイベント司会を務めたことがある。中部国際空港からマニラへの便が飛び立っていることから、観光省の方々が名古屋を訪問し、多くの旅行会社をホテルに招いてプレゼンテーションする内容であった。
かつて約40年間にわたってアメリカの植民地だったフィリピン。国は島々の集合体から成り立っていて、80もの言語があるそうだ。そのため、意思疎通に必要な公用語が英語である。幼少期からの英語教育のお陰で、人口1億人のうち貧困家庭などを除いた9割が英語を話せるという。
そんなわけで日本人が英語を学ぶ際、留学先として欧米よりも低コストで授業を受けられるフィリピンを選ぶこともある。もちろん、セブ島をはじめとする風光明媚な楽園でのリゾートステイも多くの日本人観光客を惹きつける。
旅行会社はこうしたプレゼンにヒントを得て、企業への研修提案やツアー企画を作り出すのだ。
いつか、こうして仕事で関わるだけでなく、まとわりついたバイアスを外して海外を訪ねてみたい。いつか落ち着いたら、と私は思っていた。
2020年、早春。コロナ禍に入るとMCのお仕事が全てキャンセル、キャンセル。そして約3年にわたる出入国制限や条件規制により、もれなく観光業・航空会社も大打撃。海外の国々と自由自在に交流できない有様を目の当たりにし、蘇ってきたのが10代の頃の願望だった。
今、できることをしておかないと後悔するんだ。
今を大事にしないといけないって、こういうことなんだ。
このままでいいのだろうか???
災いの期間が通り過ぎ、様子見の様々な国内旅行を経て、今年に入ってから、ベトナム・台湾・マレーシアのボルネオ島・香港と、2か月に1度の割合で海外へ出掛けている。仕事の都合もあって4日以内で行ける地域ばかりだが、それでも私は童心に返って思いっきり弾けている。
読めない看板やメニューの文字、屋台に並ぶ未知の食べ物、地元の人たちのエネルギッシュな話し声。言葉に困ったら単語とボディーランゲージで何とかなる。どうしようもない時だけ、ケータイの翻訳機能アプリが登場すればよし。
ハロン湾に浮かぶ島で壮大な鍾乳洞に入ったり、列車が通らない時刻に線路で天燈上げをしたり、野生のテングザルを探しにリバークルーズをしたり、オープントップバスのスピードにスリルを味わったり、非日常空間で体感する刺激の数々はこの上ない贅沢だ。
抑圧されていた時間が解放されて、ドカンボカンと爆発する。そこそこ散財したって気にしない。我慢なんて、美徳じゃない。否、この大いなる感動を味わうための我慢かもしれないが。
ちなみに、ベトナム旅行で知り合った、お互い一人旅同士だった30代の女性とは、時々LINEで情報交換をしている。普段、京都の奥座敷にあるリゾートホテルで働く彼女もまた、仕事を離れ、気ままな立場でご褒美空間を楽しむ一人だ。
定年退職をすると時間もできて、その後、海外旅行にハマる方々が多いと聞く。
私も同様。体がチャキチャキ動けて感性がまだ錆びてしまわないうちに、行こう。旅をしに。
ステーブ・ジョブズも言っているじゃあないか。
「The Journey is the reward. Not the destination」
旅そのものに価値がある!行き先なんてどうでもいいんだ。
さてと、次はセブ島にするかな。