私は古くからの下町で生まれ育った。結婚で一度離れたが、父の死去をきっかけに夫を連れて舞い戻った。美濃路沿いの下町は、職人が多く商店も多かった。夏になると、老人たちが家の前に椅子を出して夕涼み、「やっとかめ」の声が聞こえる町だった。10代のころは、誰かに挨拶することなくしてはバス停にも地下鉄駅にも行けない我が町を煩わしく思ったこともあったが、40代で戻ってみれば、子どものころから知っているおじちゃんおばちゃん、同じ年ごろの同窓生ばかりの町を、ずいぶんと住み心地よく感じた。
私が消防団に入ったのは、端的に言えば、次の消防団員を選ぶクジ引きに夫が当たったからである(一つの町内に1人の消防団員という不文律)。持病もあり、勤務時間も不規則で、「マスオさん」な夫に無理を強いるのは不憫だ、ということで、晴れて「榎消防団初!」の女性団員となったのが、1年前の5月のこと。
消防団というと、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。近いところでは、『ハヤブサ消防団』がテレビドラマ化されたが、あれを観て私は思った。「いいなぁ、消防車があって」と。町の消防団に消防車はない、代わりにあるのは赤い色の広報車と、リアカーに載せたポンプ。田舎では消防署から駆け付けるのに時間がかかるために各地区に消防車が必要なのだろうが、家が密集した町中では、車が入れない場所でも入れるリアカーが現実的だ。
広報車は月に2回、防火を呼びかけるために学区内を巡回する。消防車と同じ赤色のせいか、時折、通過を待ってくれる車を見かけるが、あれはやめてほしい。交通の迷惑だし、こちらはサイレンも鳴らしてないし(はなからついてない)、警告灯も光らせていない(そもそもついてない)。
名古屋市の場合、消防団は小学校の学区ごとに組織され、それらを西区なら西消防署がまとめて管轄している。男女混合で最近は女性の消防団員も増えてきているが、愛知県下は名古屋市以外は、女性団員は女性消防団として本部直属で組織され主に広報活動に従事している。
消防団の活動は大きく分けて2つある。月に3回の訓練と、お祭りなどの地域のイベント時の交通整理だ。
訓練は、整列して点呼して、発電機などの動作確認をしたあとは、放水訓練や、ロープ結び、AED操作、ホース投げやホース巻などのうち何かの訓練をする。消防署も来て指導してくれたり見守ってくれたりするが、火災発生で途中退場することも多い。私は、重いものは持てないし、身体、特に股関節がとてもかたいので、「伊佐治さんもやる?」と言われると、「いや、私は頭脳派なんで」と言ってパスすることも多い。
訓練が終わったあとはミーティング。昔はそのままだらだら飲んでいたそうだが、今はさっさと9時に終わる。終わらないときは、「団長、もう9時ですけど」と私が言う。
そう。私は入団1年目にして、すでに平然と威張るようになった。第一の理由は、私が団長より榎小学校の1学年上であるから。第二の理由は、私が詰所の台所などの美化に務めているから。第三の理由は、みんなが優しいから。ちなみに、うちの団長は花屋さん。団員には牧師さんもいる。あ、お肉屋さんも今年、入団してくれたが、彼も優しい。アルパカをペットとして飼うのが夢なのだそうだ。なぜ、アルパカ?
閑話休題。
もう一つのお祭りの方は、出店のために一帯の道路を封鎖するので、車に迂回してもらうべく通行止めのところで立ち番をするのが主な仕事。榎コミセン(コミュニティセンター)祭りの時は、それに加えて自転車並べがある。どちらの出動も、町内会と協力して行うが、「みたらしだんご」とか「五平餅」とかの差し入れがあるのみの、完全ボランティア。訓練の方はわずかばかりのお手当が出る。
大変なのは年末夜警で、これは広報車で回ったあと、町内会の人々と共に徒歩で学区内を歩いて回るので終了は深夜。この時の差し入れは豪華で、「一升瓶2本」とか「ビール1ケース」とか、学区内のあられ屋さんから「あられ2箱」とか。この「あられ」、ダンボールの中にざくざくと入っていた。「来年から個包装にしてもらうように頼もうか」と呟きながら、皆で美味しくいただき、残りはキッチンバッグに分けて詰めた。あぁ、そういえば「西消防署副所長」の訓示もあった。西区内には小学校の数だけ消防団がある。それを全部回るのだから、こちらもご苦労様なことだ。
消防団の活動は、夜の時間をとられるのが痛い(終わるまで酒が飲めない)が、その他は「異業種交流会」だと思って、それなりにご機嫌よくやっている。夏服冬服防寒服と、団服の収納に場所をとられるが、「笑えるくらい似合う」らしいので、それもよしとしている。
私は、ある程度の年齢になったら、地域ボランティアをした方がいいと思う。「も~やっこだで」と町内で買えるものは町内で買った祖母、退職後は勇んで町内会に参加した父の元に育ったせいもあるし、アメリカかぶれの大学教育を受けたせいもあるだろう。消防団を1年続けた結果、やはり思うのは、町内に知り合いが増え、情報が集まり、ますます住みやすくなった気がするということだ。
情けは人の為ならず。夫が先に死んでも、助っ人の男手には苦労しない老後を夢見て、あと数年は続けるつもりだ。